書籍関連レビュー

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■09/12/06■■renew 22/12/06■
精神病棟に生きて/松本 昭夫・著[新潮文庫]

 松本 昭夫の[精神病棟に生きて]を読んだ...

 正直な感想。
 ものすごく面白いと思う反面、ものすごく詰まらない。

 確かに、精神障害に患う人の手記、その人自身の体験してきた様々なエピソードを追体験することができるという点では、これはある面でかなり素晴らしい、貴重な書籍と思う。筆者の体験した幻覚・幻影・幻聴や妄想、それらが起こるに至るまでの子細な記述は貴重だと思う。

 けれども、それ以上に、読みにくい。
 視点がやたらと飛びすぎるので、どこを自分が注意して読んでいけばよいのか分からない。読み手を気にしてくれていないような印象さえある(だから手記なのだろうが)。

 読まないよりは読んだほうが良いのではと思うけれども、すすんで人に勧めたいとは思わない。

 ※障害者に対しての国家・公共福祉政策の充実を文中かなり訴えているのは確かに必要なことだし、日本の行政が他国、特に欧米などに比べてはるかに遅れているのは事実なんだろうけれども、それはさておいて、この人の文章が、果たして読みやすさを考えているかといえば、“私信”を書き綴った文章に近いものであるからして、なかなか読みづらいことはこの上ない。
 つまり、逆に言えば、私信を書き綴ったままの俺のwebなんて、そりゃもう見辛いことこの上ないわけで。。。orz[22/12/06]

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■02/12/06■■renew 22/12/06■
遠藤浩輝短編集2/遠藤 浩輝・著[講談社]

 遠藤 浩輝の[遠藤浩輝短編集2]を購入...

 いや、もう好きな作家のマンガなもんだから。
 好きなジャンルのマンガなもんだから。
 なにも、いうまい。

 以下、ストーリー中の台詞より、気に入ったものを抜粋。

[プラットホーム]

 皆自分が自由にできる世界が欲しいのよ
 例えば男の人の場合権力とかね
 その力で女を抱きしめたり優しくしたりキスしたり殴ったり犯したりするの
 それを自分じゃ「愛」って表現したりするのね
 でも そんな男の人って嫌いじゃないわ

 貴幸は今まで何も選んでこなかったし
 誰の立場にも立たなかったものね
 家族も
 愛情も
 自分の欲望も
 全部自分で去勢してたのよ

 怖いから

 貴幸は自分が男だという事も
 選んでいないのよ

[HANG]

「いつまでもちこたえるかわかんねぇのに
 何で人間ばっか増えてんだ?」
「お前もゆうべやったろ?セックス
 楽しかったろ?」

[女子高生2000]

「中免取ろうかなーって」
「29にもなっていきなり何よ」
「高校時代に欲しかったんだよ」
「オヤジ臭えなそれ」
「まあ当時は金無かったし
 こつこつバイトやる根性も無かったし」
「で 小金を手にした今
 何も無かった青春を取り戻そうと?」
「そうだよ その通りだよ
 金と権力はそのためにあるんだよ」
「別に好きにすれば?
 コケて腕の一本も折れば
 目が覚めるでしょ」

「全ては手遅れ」ということに 乾杯

 手に入らないものは手に入らないままで良いのだろうか。
 或いはそれはどんなに手を汚してでも金にモノをいわせてでも手に入れるべき価値のあるものなのだろうか。

 いまだに思春期まっさかり。

 ※まあ、一生の中で自分が願って、手に入れられるものなんてほんの一握りの夢でしかなくて、それもほんの些細なことばかりなんだろうけれども、それすらも未だ定かでない俺ってば一体。。。なんてなんて。[22/12/06]

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■01/12/06■■renew 22/12/06■
世界紛争地図/松井 茂・著[新潮文庫]

 松井 茂の[世界紛争地図]を読んだ...

 世界で起こっている戦争や紛争が「正義と悪の対峙する戦争」ではないことは、今の時代を生きる人なら容易に分かる。
 けれどもそれが「宗教と宗教、異文化同士の衝突による民族的・宗教的闘争だ」といわれると、何となく頷いてしまうようなところがある。何故って、それは新聞やテレビやラジオなどのメディアが、そうした分かりやすい構図を僕達に見せてくれるから。

 でもさ。

 実際のところ、結局金だよな。利権だよな。
 そういう戦争の現実を、まざまざと突きつけてくる。
 これはきっとこの本を読むまでの僕がいかにもどんくさい、浅はかな思考の持ち主だったからに違いない(いや、未だに浅はかだし視野が狭いしどんくさいところのほうが多いのだけれど)。
 でも、世の中にある戦争の一体どれほどが金や利権にまつわるものであるのか、そうした実態をどれだけ我々が知らないのか、そして単に「宗教や民族や文化を異にした人々の対立」という簡単な構図だけを呑み込まされて、無知なままで日々を送っているのか――。それらを考えると、なんとも後味の悪い、後ろめたい気分にさせてくれると同時に、いくらかの憤りを覚えずにはいられない。

 中国や北朝鮮がアメリカを帝国主義とののしる理由が、単なるプロパガンダ以上の理由を兼ね備えたものなのだなということを改めて理解した。
 全ての国が仮想敵国である、と同時に共生すべき同胞でもある。だから何かしなくちゃならない。そんなことを考えさせられた。

 ※9.11の後でアメリカはアフガニスタンに侵攻し、イラクを空爆し、市街地で米兵を中心とした各国の軍勢が戦争ゴッコを繰り広げ死体の山を築き上げるのは、経済効果をもたらすためだという皮肉。彼等は確実に「祖国を守るため」とか「愛する人を守るため」とかいった大義名分がなければ戦えない、弱い人達のはずなのにね。
 世界は平等でない、だから平等になるための何かをしなければならない。という現実を知りながら、僕は安穏とガスストーブをつけ、真冬でもぬくぬくと暮らしていけるのは、誰かの犠牲の上にある貴重なことなのだということをいまいち理解していない。これがどうやら僕の日常だから。
 それは仕方がないことだ、同時に愚かなことだ。
 感覚が失われる前に。細胞が亡ぶ前に。心が死ぬ前に。
 何かしなければ、と思いながら、結局何もできずに、暗い夜にもがくだけ。
 一体これをいつまで続ければ良いのだろうか。悶々[22/12/06]

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■11/11/06■■renew 22/12/06■
カブール・ノート―戦争しか知らない子どもたち/山本 芳幸・著[幻冬舎]

 山本 芳幸の[カブール・ノート‐戦争しか知らない子どもたち]を読んだ...

 世界史の勉強をしなおさなければと腹の底から思った。
 国連関係機関の職員だった筆者が発信していたメールマガジンを編纂したもので、9.11を前後した文章がたくさん書かれている。

 冷静な部分も私信的な部分も読んでいて好感が持てた。エッセイのように一瞬見えるけれども、ぜんぜんエッセイではない。私信と義憤に駆られてポカやるような話ではないし、ひたすら官僚的な文章というわけでもない。ごく普通な感情を持った事務方の見聞きした現状とその経緯が、きちんと調べて書き記されているように思う。

 どうも9.11の衝撃がハリウッド映画的過ぎて、見落としてきたものが多い気がした。
 案の定、見落としてきたものが多すぎた。
 それまでの自分の言動を愚かだなと思ったりもしたし、また偉い人や大きい存在が言うことを信用しなくなりそうな気がする。

 ※いや、いつだって俺人のいうこと聞かないじゃん。それでポカすること多いじゃん。
 とにかく必読を勧めます。[22/12/06]

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■22/08/06■■renew 22/12/06■
いちご同盟/三田 誠広・著[河出書房新社]

 三田 誠宏の[いちご同盟]を読んだ...

 国語の教科書に載っていた例のやつ。
 実は、この年になって初めて全文を読んだのである。

 この人の文章は国語の教科書の中でも飛びぬけて読みやすいと思ったうちの一つだった。なぜって、それはもちろんオツムの弱い思春期ボーイにとっては彼の書く文章そのものが読みやすい、というのもあるのだけれど、恋だの青春だのこの時代からの卒業だのアイデンティティだの、といった問題を内容として扱っていたからでもある。
 当時の僕等としましては、世の中と対峙し自分を定義していくことが常に重要な課題だったからで、そんな差し迫った問題を扱っている文章は、たぶん“赤い実はじけた”か漱石の“こゝろ”か“いちご同盟”くらいしかなかったからである。

 とまあ、ずいぶんと御大層なことをいったものの、いまだに中身は当時と何ら変わらないんじゃないのお前、とどこかから横槍差し込まれそうだけどさ。
 改めて読んでみて、もっと下世話にした感じが村山由佳かな、とか思ったりした。非常に読みやすいと思う。
 こうゆうのはやっぱり教科書に載ってしかるべきかな、とか思った。

 ※まあ、さすがにすらすら読めすぎて、逆にダラダラと続く倦怠感みたいなものもあるか。
 なんというか、平明な文体を意識しすぎて、逆に読んでいてつまらないとでもいうのか。それが逆に言えば教科書に推薦される所以ともなるのだろうけれど、やっぱりさすがにこれを読み漁りたい、という衝動には駆られないわな。
 同じ三田さんの作品で春のソナタというのを一度、友人から勧められて読んだことがあるのだけれど、そっちのほうがちょっと内容が濃かったかなあ?
 でも、やたらと音楽の要素がこの人の作品には描かれていて、ちょっと真面目に音楽の授業を勉強してこなかった人間には、何をいっているのか時々チンプンカンプンです、イメージしヅラいっす。。。教養が足りねーよな、俺。[22/12/06]

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■04/08/06■■renew 13/12/06■
イエスタデイ・ワンス・モア/小林信彦・著[新潮文庫]
イエスタデイ・ワンス・モアPart.2〈ミート・ザ・ビートルズ〉/小林 信彦・著[新潮文庫]

 小林 信彦の“イエスタデイ・ワンス・モア”と“イエスタデイ・ワンス・モアPart.2”を読んだ...

 まえに書いたつもりでいたんですが、なかったので一応。

 唯一の肉親だった伯母がなくなって、天涯孤独となってしまった僕。自分の下に舞い込むはずだった伯母の莫大な遺産が、全く知らない赤の他人に譲渡されることになってしまった。
 突然のことに動揺する中で、ある朝目が覚めると、1989年にいたはずの18歳の僕は、1959年の世界に迷い込んでしまっていた。
 叔母が遺産を譲渡することになっている相手の“山根”という男を見つけ出し、何とかして自分がいた時代に戻ろうと、主人公は奔走するのだが…。

 というのが、パート1の主なストーリーでして。

 一言でいえば、“和製バックトゥザフューチャー”です。
 Part1の続編としてある、〈ミート・ザ・ビートルズ〉は、前作で結局1989年から訳あって1959年にタイムスリップしてしまったままの18歳の僕が、かつての日本に起こった出来事やその裏側で、若き日の自分の両親や親戚を巻き込んで繰り広げるパラドックスストーリーというところで、先行作品と同様、過去の世界で起こる事件に主人公が巻き込まれてしまうのですが、それがなんと、ビートルズ来日騒動。
 ビートルズが来日した時には赤ん坊ですらなかった僕には、まったくといっていいほどビートルズに関する記憶なんてものはない、当たり前だが。だからこそ歴史の人物、しかも今の自分がいる世界と地続きの、まだ生々しい歴史に飛び込んでいく主人公がリアルに映ったり、或いは惹かれたり、羨ましく思えたりするんだろうね。

 この2作品を通して初めて小林信彦という作家を知ったんですが、まあ割とお年を召した方で。
 そのぶんやはり、色んな世の中の変遷を見てきていらっしゃるようだし、実際にそういう経験がこの作品には生かされているんじゃないかとも思う。実際に時折見え隠れする日本の戦後の芸能界の様子なんかは、取材なんかではどうにもならない、実体験としてその世界で生きてきた人だからこそ描けるんだろうな、と圧巻。音楽、舞台問わず国内外のアーティストの逸話などもところどころに見え隠れして、非常にインテリジェンスに富んだ、典型的な“作家さん”というような印象を文章には受けました(実際には波乱万丈な人生を現在も送っていらっしゃるようなんだけれどもww)。

 あー、文章を書くのは難しいよね。ほんと、圧巻です。

 ※なんだろうなあ、やっぱりこういう“追憶”をする作品が好まれるっていうのは、人間が過去を断ち切ることのできない、過去の集大成としてある生き物だからなのだろうか。
 過去への旅立ち、果たせなかった何かを果たそうとするものの、決して手の届くことのないものであることを認識する。それがタイムトラベルの王道であり、同時に清算することのできない現実――“過去”の本質。
 もちろん、作品によっては逃避的な可能性未来としてのハッピーエンドを書き出すこともあるけれど、常にそうした“現実”を意識した描き方をしているように思う。
 現実は現実であり、フィクションはどこまで行っても現実にはならないという真理。
 しかし同時に、我々が思い描くフィクションは、常に現実に続く見えない階段で地続きでもある――それも真実。

 だからこそ、フィクションを描くことはやめられないのだ。
 敢えていうのであれば、フィクションは願望未来ではない、ということを僕らは忘れてはならない。[13/12/06]

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■04/08/06■■renew 13/12/06■
プラネテス(1)/寺村 誠・著[講談社] プラネテス(2)/寺村 誠・著[講談社]
プラネテス(3)/寺村 誠・著[講談社] プラネテス(4)/寺村 誠・著[講談社]

 寺村 誠の“プラネテス(全4巻)”を読んだ。

 高校生の時に友達に勧められて読んだことのある一冊。たまたま近年アニメ化されるまで忘れていたこともあって、ついつい書店で見つけて購入。うん、懐かしい。と同時に新鮮な感覚。
 ノリでやってるようなスチャラカ船乗りになりたいなーと思いつつ、結局そんな未来にはいまだになっていないのだけれど、スペースデブリとサラリーマンとか、物語を作り上げる時の着目点が良いよな、とやはり思う。
 適度なSFと適度なドタバタと、ちょっとクセのあるキャラクター。適度にコメディであったり、適度にシニックでもあったり、一見するとストーリー構成があるわけではないように見え、ただ短編をつむぎあわせただけのようにも思うけれど、世界観が損なわれることはないし、実際にはそこでは確かに、一貫した何かが語られている。
 基本的には近年BSで放映されたアニメーションのベースになっている話ばかりなのだが、漫画独特の描写だったりタッチだったりデザインだったり、アニメ以上に楽しめると思います。
 宇宙好き、ガンダム好きに勧めたい一冊。

 ※ところで、これ、マンガの最終巻の帯には『感動の第一部、最終巻!!』みたいなくだりがあったんですが…第二部って、だいたい編集者のブラッフですわよねえ。。。
 主人公のハチマキが、宇宙飛行士(正確にはEVA=船外作業員)として、一人の人間として他者≒世界(?)と対峙する中で何を考え、どういう道程を経て、どこへ向かうのか。

 僕はもうここまで来てしまったのだけれど、まだしばらくは歩みをやめないと思う。
 ここまで来るために何もかもを捨て、そしてこれから先に進むために、たくさんのものを捨てていくかもしれない。
 けれど、どんなに遠くまで来たとしても、いつも僕の側にいてくれる君のことだけは、どうしても捨てきれない――。

愛し合うことだけは、どうしてもやめられないんだ。

 みたいな。そんな感じですかね。ちょっとワンダーフォーゲルみたいな。[13/12/06]

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■02/08/06■■renew 13/12/06■
蟲師(1)/漆原 友紀・著[講談社] 蟲師(2)/漆原 友紀・著[講談社] 蟲師(3)/漆原 友紀・著[講談社]
蟲師(5)/漆原 友紀・著[講談社] 蟲師(4)/漆原 友紀・著[講談社] 蟲師(6)/漆原 友紀・著[講談社]


 漆原 友紀の“蟲師(1〜6巻・途中4巻抜け)”を購入。ちなみに現在は7巻まで出ているようです(13/12/06現在)。

 こいつもまたアニメを先行してみていたんですが。
 いや、途中抜けでもある程度話をアニメで知っているのもあって、非常に面白い。だいたいが1話1エピソードで完結だし。非常に濃く面白い内容の話が多いです。
 そもそも蟲師ってねえ、もう。
 なれるもんならなってみたいやい、というねえ。
 ちょっと、心からそう思いました。
 ※ところでこの蟲師、最近では映画化までされたそうなんですが。。。映画にするのはどうなんだ?
 実写化は、なかなか厳しいのではないかと思うんだけどなあ。[13/12/06]

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■31/07/06■■renew 13/12/06■
フィラメント 漆原 友紀・著[講談社]

 漆原 友紀の“フィラメント”を読んだ。

 “蟲師”(↑)で最近では有名な漆原さんの短編集(“蟲師”のレビューはすぐ上)。
 一番最初に収録されている“岬でバスを降りたひと”が、一番今の作品に近いニュアンスとかストーリーといった感じで、間に入っている“小景雑帳”は、いまいち受け付けなかったかなあ…。絵自体は優しい印象のものがやはり多くて、タッチとかニュアンスとかは嫌いではないんだけれど。
 最後に収録されていた虫師は、今の蟲師につながりそうなネタですね。
 サクサクと読めて、何度も楽しめます。

 ※まあさ、こういう短編って、よっぽど力入れて描かないと、ヒット作と比べて力負けしちゃうのよね。。。それは仕方ないか。[13/12/06]

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■15/04/06■■renew 13/12/06■
オルフェの方舟―ブギーポップ・イントレランス/上遠野 浩平・著[電撃文庫]

 上遠野 浩平の“オルフェの方舟―ブギーポップ・イントレランス”を読んだ、読んだけど。。。

 うーん、正直、微妙だなあ…。という感じでした。
 いや、これはきっと読んだ俺の個人的な問題であって、他の人はまた違う気分で読んだんだろうなと思ったんですが。
 やっぱり何作も派生して出してくるシリーズ物になると、後のほうの作品ってダレってきちゃうのかなあ…ってね、思ったの。

 小出しにしてくるネタとか「ワン・ホット・リミット」とか、ああいうのは相変わらずなんだけれど、出版社からいわれてなあなあで書いてみました、みたいな印象が拭えない気がする…。

 あとがきもいつもよりピンとこなかったような。
 ちょっと残念気味でした。

 なんだろう、そろそろお前、ジュブナイル引退しろよ、と男性ホルモンが語りかけているのだろうか…。

 ※っていうかね、もうなんか正直、抑揚のない作品群に、飽きがきています。
 なんかバシッ、と新しい感じのものをやってはくれなまいか。。。[13/12/06]

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■13/04/06■■renew 12/12/06■
ノルウェイの森(上)/村上 春樹・著[講談社文庫]  ノルウェイの森(下)/村上 春樹・著[講談社文庫]

 村上 春樹の“ノルウェイの森”を読んだ。

 村上 春樹を人生で初めて読みました。
 いや、もうなんというか、結局夏目漱石以後、日本のいわゆる近代文学は連綿と内向的な人間ばかり描いてきたようで、或いは人間の内面描写に特化してきたようで、そのもっとも典型的なキャラクターが、村上 春樹なのだろうな、とか思いました。
 まあたぶん、同じ村上でもずっとリュウばっかり読んできた人間には新鮮だったわなあ。脳味噌のフォーマットが、明らかに違う人間の文章を読まされたような、そんな気分。

 平坦に平坦に物事が進んでいく中で、しかし何かが確実に動いている。当たり前のように物事が行き過ぎていくが、しかしその当たり前が実に不自然に思える。

 そんな茫洋とした感覚の向こうに、何かを見てしまうのだろうなあ。
 なんて支離滅裂なことを思いました。
 結局、最初から最後まで、主人公のワタナベ君の回想だったのか、と読み終わる頃にようやく気づく。

 やっぱり、何かがおかしいリズムの中で世の中が動いている、それは知っている。しかし僕等はそれ以外の世界を知らず、そこからはみ出すことは自分が普通ではない、ということを意味するらしい、そのことも知っている。だから僕たちがとる手段は、必死になりきって自分をだますか、狂ってしまうかのどちらかしかない。

 やっぱりどこかおかしいのだろうな、俺も。と思う僕の思考も、実は案外と普通なんだと思うんだけれどもね。

 平坦に始まって平坦に終わる感じの文章だったけれど、一度火がつくと、どうにかすらすら読めました。
 やっぱりそういう意味では文才も長けているのだよな、と思い、感服。

 でもなんでいわゆる現代文学って、こんなやたらと性描写が多いんだろうね?

 ※まあでも実際、これ以降まともに村上 春樹は読んでいない。。。[12/12/06]

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■03/04/06■■renew 12/12/06■
機動戦士ガンダム公式設定集 アナハイム・ジャーナル U.C.0083-0099/メディアミックス書籍編集部(編集)[サンライズ]

 メディアミックスの“アナハイム・ジャーナル”を購入。

 サンライズ公式設定、というお題文句よりも何よりも、見ていて飽きない。

 もちろん見る人の好みもあるとは思うけれど、デザインも洗練されているし、ありそうなフィクション世界の現実を思わせてくれる、なかなか乙なグッズかと思われる。一部ではこれを単なる同人誌の寄せ集め、という人もいるらしいのだが。しかし、これまでのガンダムワールドの構成自体が、ここまで膨らんできた経緯には、その同人作家の人たちのSF考証なり時代考察なりがあったためなわけで、一概に“同人誌”とバカにはできない。

 いや、何より見ていて飽きないよ。それに尽きる。

 ただ、こんなカタログちっくなものもいいんだけれど、逆にひたすら文字ばっかみたいなものでも良いから、ひたすら年表とか、利用されているミノフスキー物理学の技術とか、宇宙船の航路のこととか、もうストーリーのありとあらゆるところにちりばめられているウンチクを、ひたすら語ることのみに偏った雑誌の出版も、僕は希望したいなあ。

 ※とにかく、素敵。[12/12/06]

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■26/01/06■■renew 12/12/06■
〈声〉の国民国家・日本/兵藤 裕己・著[NHKブックス]

 兵藤 裕己の“〈声〉の国民国家・日本”を読んだ。

 いや、たまたま課題の主要参考書だったので、読まざるを得なかったのですが。非常に面白い内容の文でした(いや俺は限りなくゼミ生とはいえないお荷物クラスのゼミ学生だったのだが)

 今でこそ“浪花節”は大衆の娯楽ではなくなっている、いやそもそも今の日本の若者でナニワブシが何かなんて、答えられる者はまずいないと言って良いだろう。

 明治から戦前にかけて流行したこの大衆文芸・庶民芸術と称される語り芸は、日本近代の国家的なモラル――それこそ「日本人は単一民族で、日本は単一民族国家だ」みたいなフレーズを少しずつ内包していたのではないか。

 「日本人に固有の義理人情」や「天皇の赤子としてある国民」という発想は、政府や官僚が作り上げた情報操作の賜物でもあり、日本人の古来よりの道徳的発想でもあり、はたまた2000年以上の永きに渡って続いて来た天皇家への忠誠でもあると同時にそのすべてに厳密に当てはまるものではなく、近代の日本人が孤独な都市生活者としての“個人”を形成する時期において、潜在的な欲求としてあった全体化――もっと端的にいえば、“他者との関係性の補完”を求めた結果なのではないかと思ったりした。そうした憶測をさせてしまうだけの擬似的ファミリーとしての社会モラルが、当時の世の中には少なくともあったようであり、そして今もそれが政治や教育や、我々の日常生活の中にさえ垣間見ることがあるのだから。

 スタンドアローンコンプレックスや、個別の11人を想起させる文章でした。
 こうして浪花節の語った普遍的な日本人の性質が、実は普段の生活の中に見え隠れするみたいだから、なおさら面白かった。

 ※今、記憶の中にある本の内容と、テレビやアニメや政治や教育や、なんやかんやを鑑みて、色々とムダに書いてみます。

 近代化以降、或いは戦後の日本で我々国民(かつては臣民)が受け取ってきた国家感・国民感というのは、どうやら結果としてある程度のばらつきこそあるものの、一定の方向に向かうベクトルに反ったものだったようで、そのベクトルというのが時に「天皇制の維持」であったり「東洋の中心国家」という自負であったり、選民思想とか、西洋のオリエンタリズム史観に対抗する東洋という局地で発生した更なる「極東オリエンタリズム」であったりしたのではないか、と考えられなくもない。
 各国の覇権競争の中で蹴落とされないために国家レベルでの急速な近代化が迫られた結果、それはやむを得ない選択だったといわざるを得ないと思うし、その事自体に対する善悪を問うことはできない。ただ、その中で語られてきた「東洋の中心たる日本民族」という発想は、一国としての独立維持のためには時として排他的になることも、しばしばあった。
 そうした現実を考えると、今に名残を残す「文化」というものに対して一般に我々が持ちがちになる「無害」なイメージは実はかなり幻想で、外から見れば極めて暴力的なものにもなっているのではないかといわざるをえない。
 これだけ多くの人間がいる中で、誰もが口々に「○○は良い!!」と二言目には口にする。それは、果たしてどこまで自然なものなのだろうか?
 数千万の人間が一同に同じモノを見て、同じモノを聞いて、同じ感想を述べる。
 そこに働くのは、ある地域では彼らの寄る辺とする“宗教”であり、或いは彼らを統率する“法律・戒律”であり、彼らの口から口へと語り継がれてきた“物語”という聖典である。
 それは、実は非常に大きな危険を内包しているのではないか。
 つまり、Xという歴史的事象はAにおいてはA’として語られ、BにおいてはB'として語られ、CにおいてはC’として語られるものであり、それを押しなべてA'という歴史観に統一するという現象は、極めて暴力的だ、ということだ。
 或いはそれは新たな包括的な歴史観Dとして統一されるべきではないかともいえなくもないが、そもそも歴史という現象が中立的客観性を作り出すことのできないものであることを考えれば、A'やB'、C'といった揺らぎを内包してしまうのは当然のことなのである。
 そうした見解は、昨今の東洋史(或いは日本史)の分野で少しずつ認知されてきている現実で、よくよく考えれば当然のことなのだ。
 しかし、我々が学んできた歴史というのは、それを語らない。
 数学の問が導き出す解が一定の方向性を持つもの以外を認めないのと同様に、歴史は共通項としてのドラマツルギーを求め、原則として揺らぎを認めない。
 政治は、教育は、そうしたドラマツルギーを国家の公式設定として利用し、マイノリティはいつまでもマイノリティとして排除される。その中で「日本は一つである」という思潮が少しずつ練り上げられていった。

 双方向から自発的、多発的に引き起こされた補完的同化傾向。
 それは人間が個人という最小単位の生命体であると同時に、国家組織という形態で生きながらえる複合的な生命体であるために引き起こされた現象のようにも思えるのだが、国家が地球という一元的巨大組織として機能することもできず、また個人が一身とともに一心のみによって立つことのできない存在であり続けるならば、いつまでも起こりうる“不可思議な現象”なのではないか。

 意志泣き意志の暴走は、時に独りでに、時に何かの事象に対して誘発的に引き起こされる、ということ。
 我々は、常にそのスイッチを、我々自身の血の中に、記憶の中に、生き方の中に内包している。
[12/12/06]

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■07/01/06■■renew 12/12/06■
スラムオンライン/桜坂 洋・著[ハヤカワ文庫]

 桜坂 洋の“スラムオンライン”を読んだ。

 またジャケ買い。ハヤカワはよく買うのだけれど、それにしてもハヤカワらしくないような気もする、サイバーパンクともいえず、某ネトゲーアニメのようにも行かず。
 それにしても読むの遅くなってるな最近(汗。実はこれ、昨年発売当初に購入したまま、部屋の隅で積読本になっていたんですよね(汗。

 さて。
 格闘オンラインゲームで毎夜技を磨く大学生の主人公。
 大学の講義にはまったく身が入らず、サークルに入って活動するでもなく、なんだかダラダラと過ごしている。
 あえて打ち込んでいるものをいうとすればオンラインの格ゲーで、ほとんどニート廃人、その一歩手前。

 イマドキの大学生、いやイマドキの若いもん、いや、生まれたときからコンピュータゲームがすぐそばにあって、それをこなして生きてきたイマドキの人間には、きっと当たり前な今だろう、と彼はいう。

 別にこれはハヤカワでSFではないな、と思いながらさっくり読めた。

 途中途中の「SE」表現には少し鬱陶しさもあったけれど、強いていえばそれがSFだったのかなあ。
 描き方が独特といえば独特、でも読み始めたら読みやすいと思った。
 まあ、格ゲーコマンドな感じの戦闘シーンは、ちょっと読んでいて疲れたかな?

 まあ、こんな御大層なことをえらそうにいっておりますが、僕なんてゴミ以下です。[12/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■26/12/05■■renew 12/12/06■
フラグメント/古処 誠二・著[新潮社]

 古処 誠二の“フラグメント”を読んだ。

 もともとミステリーがあまり得意ではないので、密室殺人とか「震度七」級の衝撃と感動とか、正直そう言った触れ込みに何かを感じたのかといわれれば、非常に疑わしい。
 ただどこか復讐劇にも似た様相と、それを結果として裏で操るようにしてしまった“真犯人の存在”と、そしてそれに踊らされるままに友人を傷つけてしまう、負の連鎖のような状況が、なんとも後味の悪い感覚を最後まで引きずらせる。
 そういう“後味の悪さ”を考えるのならば、この話は非常に良くできたフィクションなのだろうと思った。非常に“在り得る”話だった。
 人間の思考というものは、良くも悪くもいつかは人間の手で実現されるであろう青写真として存在する。そういうことを“当たり前”のこととして僕等はもう知っているはずなのだが、こういう現実をもし今、いきなり目の前で見せられたならば、一体僕等はどういう反応をするだろうか。

「嘘だ、こんなの現実じゃない」

 僕等は気がつくとそういう常套句を用いて現実から逃避する。
 それが良いとか悪いとか、今それは問題じゃないのだけれど、どうしてもそんな風にして逃げようとする。

 そして、そうやって逃避するということはつまり、何も考えずにその目の前の出来事を受け入れてしまうことなのではないか。

 それはやっぱり僕等が普段想像力に欠けているからで、何事にもどこかで無自覚でいすぎるから、そんなどうしようもない性悪説を考えてしまう。

 いつも何かに怯えて生きるという、そういう生き方は、人間が生きていく上ではどうしてもやりにくい。
 だから気づかないでいる。自分の興味以外のもの――悲劇なんかには背を向ける。
 そうして突然、こんな現実に直面して膝を折る。

 一個の無自覚なる善人として本を読み勧めていくと、どうしてもあって欲しくない結末だな、とやはり思った。読み手はいつの間にか主人公の視点を通して大切な人達の身に起こったタブーに触れてしまう。それを必然とするかしないかは、最後まで読み終わった後でも分からない。

 何度目かの「世の中が嫌になった」という言葉を、そんな僕の言葉を何度も聞き慣れているだろう友達に、またぶつけたくなるような、そんな一冊。

 ※あー、ミステリなんて実際、やっぱり俺には向かないジャンルなんだろうな。。。
 どう考えても重過ぎるもの。[12/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■08/12/05■■renew 09/12/06■
機動戦士Zガンダムフォウ・ストーリー―そして、戦士に…/遠藤 明範、富野 由悠季、矢立 肇・著[角川スニーカー文庫]

 遠藤 明範、富野 由悠季、矢立 肇らの“機動戦士Zガンダムフォウ・ストーリー―そして、戦士に…”を読んだ。

 「Z」のサイドストーリー。
 フォウ・ムラサメがフォウ・ムラサメになるまでの話、と言った感じか。
 非常に読みやすい。すらすら読んだ。
 それはひょっとして僕がガンヲタで、ガンダムを強化された人間だからだろうか(笑

 ちなみに、作者にある矢立 肇というのはサンライズの著作権関係のためにある模擬人格のようなものであって、それをつい最近まで知らなかった僕は結構ガンヲタ、サンライズヲタとしてはだめぽ。。。
 んで、どうでもいいんですが、今地味にガンダム小説書こうと奮闘してるんだけどね、すっごい大変だよね。。。と実感。[09/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■08/12/05■■renew 09/12/06■
密会―アムロとララァ 富野 由悠季・著[角川スニーカー文庫]

 富野 由悠季の“密会―アムロとララァ”を読んだ。

 そもそも御大(=一部富野崇拝派の用いる尊称)の書いた小説版ガンダムではアムロは死ぬので、こっちはアニメ版のリニューアルと言った感じで、別の側面から一年戦争を描き出そうとしている様子である。
 文体は非常に読みやすい。むしろ昔の富野よりも楽しめた感がある(何せ昔の御大の文章を読んだ時は小学生だったしね、そのくせ文中にセック○とかいう単語が出てきてびびる、と)
 シャアに拾われる前のララァ・スンの話とか、アムロのトラウマや葛藤に翻弄されるところとか、飽くまで艦長代行だったブライトさんの内面とか、なぜかホワイトベースという閉じた社会の中でおっかさんだったミライさんとか、色々違った視線で見ることが出来る。

 何気にカバーに誘われて買った感があるが、それに見合うだけのものではあったのでは。
 [09/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■15/10/05■■renew 09/12/06■
僕は天使の羽根を踏まない/大塚英志・著[徳間デュアル文庫]

 大塚 英志の“僕は天使の羽根を踏まない”を読んだ。

 ひたすら大塚英志節。
 一応位置づけとしては、MADARAシリーズの完結編らしい(漫画でしか見たことはないが)。

 大塚英志自体は頻繁に読んでいるので、そうしたバックグラウンドがあったからか、ある程度どういう事をいいたいのかは分かるけれど、途中からダレたような印象もあり。

 ストーリーとして考えるのならば、あとがきにあるように二流なのかもしれないが、節々に見えてくる概念のようなものはとても興味深い(そしてどうやらここらへんが彼の批判される理由だと思う)。

 “マダラ”のアナザーだと思って買ったらダメだと思います。

 作者がほとんど文の途中で“ジュブナイルじゃいかんのです”と言っている気がしてならない…。まあ、それはそれでありだと思うんですがね。

 いや、俺としちゃさ、本当にMADARAに関してはまともに読んだことがないので、MADARAとしてはどうなのよと思うものの、中途半端に東京ミカエルや冬の教室のテイストが節々に見えて、嫌いではない、と。それだけ変わらないです。[09/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■08/09/05■■renew 09/12/06■
イノセンス After The Long Goodbye/山田正紀・著[徳間デュアル文庫]

 山田 正紀の“イノセンス After The Long Goodbye”を読んだ。

 リンクに貼っている画像はハードカバーのほうなのですが、最近発売されたデュアルの廉価版のほうをupです。

 『After the long goodbye』という事で=攻殻劇場版第一作からイノセンスへと繋がるストーリーですが、山田正紀独特のいい回しや、掛詞的な言葉の雰囲気が、確かにバトーっぽいといえばバトーっぽい。

 でもあまりにも人間的すぎて、テレビで放映されているStand alone complexシリーズなんかと比べると、いなくなったバセットハウンドのことを探し回ったり、夢の中にしか出てこない息子のことを考えたり、自分の前から姿を消した“彼女”のまぼろしに翻弄されたり、そもそもの押井作品以上に“もろい”印象を受けました。何というか、“精も根も尽き果てて、枯れる寸前”と言った感じのバトー。
 あまりにもその枯れた感じが、それこそ嫁さんなくした人みたいで、まあバトーさんとしては素子がいなくなっておまけにバセットのガブまでいなくなっちゃ、寂しさ百倍の情緒不安定と言ったらばいい過ぎなのかもしれないけれど、それくらいに印象がガラッと違います。
 なんだろうなあ、喩えていうなら、バットマンの時のジャック・ニコルソンを見た後で、アバウト・シュミットの時のジャック・ニコルソンを見てみると、あまりのキャラクターの激変振りに驚いてしまう。それくらい、ガラッとイメージが変わってしまう気がするんですよ(宣伝しか見たことないのに良くそんなことがいえるな俺ww

 雑誌に連載された文章を編集したものらしいので、読んでいて結構切れ目が入ったり、時々一人称があまりにも鬱陶しい箇所もあったりするのだけれど、一味変わった攻殻もありだなと思います。

 山田正紀の文章はあまり他に読んだことはないのですが、神狩りとかが有名ですかな。個人的にはチョウたちの時間を一度読んだことがあるだけで、それはそれで面白いのですが、どうやら最近の2時間ドラマを見ていると、原作に「山田正紀」という名前が多くあるあたり、かなり手広く色々な文章を書いているようです。
 ええ、まあようはまともに読んだことありません、そのうち読まなければいけないかなとか思っていますww

 廉価版なので買いやすいです。
 わりとお勧め。

 うーん、ほんと。結構この人の文章ははまるとはまる。[09/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■29/08/05■■renew 09/12/06■
ビートのディシプリン[Side4]/上遠野 浩平・著/電撃文庫

 上遠野 浩平の“ビートのディシプリン[Side4]”を読んだ。

 えー。時々やってくる電撃な読書です(笑。
 基本的に自分の好きな本とか作家は区別のない人間なので、この後いきなりチェ・ゲバラ持ってきたりとか言った無茶苦茶をしますので、あしからず。

 とはいえ、上遠野氏のブギーシリーズに連なる派生的な物語の、いかにもシリーズな書き方をされているので(実際にそっち系の雑誌に連載しているものの編集らしいので)、ちょっと読んでいてだるぃんですが、まあそれはさて。

 ブギーの外伝・第四段にして、一応の最終章的な扱いになっている。
 “カーメン”とは一体何なのよ、というのが一連のお話のテーマだったのだが、結局上手くこじつけていたというか、

「そこまで大それた書き方する必要はなかったんじゃないですか、おまいさん」
 と思ったりもした。

 キャラクターの“理由付け”に気をかけていたのではないかと思うのだけれども、しかし結局それがどーなっていったのだぃ?というのがイマイチ読み飛ばしたのか分からずに、最終局面の様子を見ているとよく分からないうちに青春アドベンチャーなことになっていたので、すんなり消化できたわけではないかな。

 いや、それより何より最後の最後でなんて気の持たせ方をするんだよ、ってゆー展開が…。

 表紙の緒方画がとてもオサレな、一冊。

 …という感じでして、まー相変わらずレビューというよりは読書感想文とかのノリでずーっとやってきましたが。

 やっぱり、ストーリーがシリーズ化されてしまうと“新鮮さ”ってのは維持するのが難しいんだよなー…と思ってしまいますな。

 いや、でも好きな人は読んじゃってください。

 …結局どーゆうフォローなんだ…(汗。

 や、結局さあ、かなりヲタ全開なんだよね。
 こうまでして上遠野さんに固執する必要はなくなってきたんじゃないかと。
 むしろドキュメンタリーとかのほうに最近はやたらと面白みを感じちゃっているもんだから、ものすごく興ざめなんですよねえ。。。
 こないだ講談社から出た新刊も結局買ってないしね。しずるさんにしても手をつけてないし。
 うーん、、、そろそろ潮時だな、リアルに。そんな気がします。[09/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■09/08/05■■renew 08/12/06■
木島日記-乞丐相/大塚 英志・著[角川文庫]

 大塚 英志の“木島日記-乞丐相”を読んだ。

 相も変わらずの癇症持ちの男色家・折口信夫先生の周りで起こる、奇妙な事件簿の第二段。
 津山三十人殺しの真相に戦艦大和の沈んでしまった真相、しまいに神隠しと、まあ好きそうなネタが出てくるわ出てくるわ。
 大塚英志はこの後続きの話があるとか言って書いていないのだけれど、これ以降はエッセイとか論文とかばかりでフィクションではあまり見ていない。
 うーむ。
 続編がまだあるのなら、とても希望。

 最近また読む本や取り入れる情報に偏りがあるような気がする、いやもともと偏りはいつだってあったんだけどさーww

 いや、僕が読む本や情報に偏りがあるのは相変わらずなんだけれども。
 だいいち無理なんだよ、満遍なく偏りなく本を読むなんてこと、俺にはできっこないわけで。
 まあ、文章の表現能力なんかの問題で困ることがあるかもしれないけどさ、
 いんじゃないの?こんなもんでもさ。[08/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■25/07/05■■renew 08/12/06■
機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル/中原 健一・著[角川スニーカー文庫]

 ガンダム小説・中原 健一の“機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル(1〜2巻)”を読んだ。

 というよりも、今のところ上下巻という感じだが。
 ちゃんと文字のガンダムを読みたい。
 ......てか、ジャケ買い(オイ!!

 そう思って久々に買った文字のガンダムなのだが……うーむ、イマイチ乗らなかった。
 いや、ケンプファーとか出てくるのはスゲーんすけど、あの機体ってところで、そんなに認知度高かったのか?
 とかちょっと思い。
 カナールとか、あましカッコいいイメージねーんだよなぁ……。

 まあ、トレーナーとしての機体も存在するのは理解してるつもりなんですが。でも、あれは萌えねーなー…、美樹本キャラが動いているっていうイメージを勝手に脳内で構築して、そっちの方面では萌えたりするんですが、しかし何というか、そうするとキャラが皆『マクロス』になってしまい、ストーリーも何だかマクロスぽいなーとか思ったりしたりして、イマイチガンダムとして見れなかったというか……。
 うむ、やはり乗らなかったんだろうなー。

 今度、ちゃんとゼータとかダブルゼータとか見ないと。
 エコールも、美樹本マンガのほうを買って読んだが良いのかなー?

 ただ、自分でガンダムを書くということになると別です。
 設定なんかを考える時には、やっぱり若干参考にしたり、したい。。。
 俺のガンダム小説は、いつごろあがるのやら(笑。[08/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■27/06/05■■renew 08/12/06■
殺し屋シュウ/野沢 尚・著[幻冬舎文庫]

 野沢 尚の“殺し屋シュウ”を読んだ。

 久々にね?
 いやあの、同時進行で、梶井基次郎を読んでいたんですが…あまりにもデカダンで緻密すぎる複雑怪奇な表現に苦戦して、珍しくギブアップ気味ですww

 そんな中、おつまみ気分で読んだのが。野沢尚。
 何となく買った本だった。
 でも、読み始めたら止まらなくなった。

 野沢尚はもう僕の知らない世界にいってしまった。

 そのことに、僕はとても後悔を覚えた。

 流行りモノっぽさをハードボイルドに匂わせる。そのくせあまり鬱陶しくない。
 ああ、なんでもっと早く逢わなかったのだろう。
 悩む殺し屋がいても良いだろう。だって人間だもの。相田みつをじゃないけれど。

 ある嫌いな国語教師が言った言葉だけれど、

『死ねなんて言葉を、そう簡単に使うなよ』と。

 野沢尚は、きっと本気でいえるのだろうなあ、と、ちょっと思った。
 あーあ。ミーハー熱がまた生まれるだろう。
 野沢尚氏の安らかな眠りと、気まぐれな本との巡り会わせに思いを馳せつつ。

 野沢氏の本、まだこれ一冊しか読んでおりません。
 もっと読書量を増やさなきゃ。[08/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■13/06/05■■renew 08/12/06■
攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX-眠り男の棺/藤咲 淳一(押井塾)・著[徳間DUAL文庫]

攻殻の小説・藤咲 淳一(押井塾)の“攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX-眠り男の棺”を読んだ。

 ネタばれっぽい書き方をしてしまいました。
 あしからずm(_ _;)m

 読んでいる時に頭の中でビリー・ジョエルの『miami 2017』という曲が自然と流れ出したような、流れ出さないような…。

 2ndとも1stとも取れないパラレルな時間軸の中で起こる『吸血鬼』事件。例のごとくマイクロマシンに仕込まれているウィルスや、『抗中派』と言ったような、どこかの市民運動に対する二次元のスタンドアローンコンプレックスを髣髴とさせる集団組織の活動。内務省と拮抗する外務省の外事六課など、『攻殻』っぽさはしっかりと健在。

 そこへ唐突に関与してくる、失われたかつての首都・東京。
 このあたりのくだりには、とても『東京ミカエル』『リヴァイアサン』を感じてしまって、勝手にとても喜んでいた私(汗。
 そうして、内環七のどこか、荻窪すずらん南商店街。
 どこかレトロなにおいのする感覚は2ndの『草迷宮』を思わせつつも、あれとは違う郷愁感を漂わせる、ちょっと良い話。

 まあ、テレビ見てないと、初見の読者はちょっと困るかもしれないけれど。
 面白いですよー。

 ちなみに、Miami 2017は、Billy joelの1976年、だいたい初期のアルバム[turnstiles]に収録されている楽曲で『核戦争でニューヨークが消えた原因を伝え続けるために、マイアミで生きている』というような、なんだかトンでもだけれどかなりカッコイイ、まさにビリージョエルっぽい曲です。
 同じアルバムには名曲『newyork state of mind〜ニューヨークの想い』や、『say good bye hollywood』などが収録されているのですが、僕はそれよりなにより、マイアミ2017です!! こっちをゴリ×2プッシュしていきます!!

 ……あれ、なんかレビューするモノが変わってない?

 やっぱり、攻殻はかなり好き。
 紛いなりにも、ハヤカワのSFやハリウッド映画初期のSFアクション、そしてそれらを吸収してきたじゃパニメーションの素地を踏んでいけば、こういう極めて攻殻作品的なものが出来上がるのか、と思う。
 もちろん、ただの二番煎じ、三番煎じのような作品も多い。
 それこそ同人作品的な分類のモノだって、今までのアニメの中にはたくさんある。
 もちろんそれは商業的な成功とか、時代ごとのトレンドとか、或いは純粋なクリエイターへのリスペクトとかからそうした状況になって行くのだろうけれども、日本における“サイバーパンク”のキーになっているのはきっと攻殻機動隊だし、その看板に恥じないだけの作品にはなっているんじゃないだろうか。

 なんて、べた褒めしすぎか。[08/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■07/06/05■■renew 08/12/06■
機動戦士ガンダム 宇宙のイシュタム/飯田 馬之介・著[角川コミックス・エース]

 飯田馬之介の“機動戦士ガンダム 宇宙のイシュタム(1〜3巻)”を買い込む。

 ええ。これについてはもう、語るところはあまりありません。
 ブリティッシュ作戦!
 その一言に尽きます。
 OVAなどで知っているキャラクターが出てきたりしますが、それよりも何よりも船乗りどもの白兵。
 コロニー内での戦闘、ガス使用のえぐい具合。
 あえてマンガでやったところが良いのかも。
 一年戦争といい、グリプス戦役といい、最近流行りですが、その源流を知るのもまた一興。

 今のところ3巻まで出ているようです。
 ぜひご一読。
 そういえば、その後の刊行をしらないぞ。。。
 どうなっているのかしら??[08/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■04/06/05■■renew 07/12/06■
バカの壁/養老 孟司・著[新潮新書]

 養老 孟司の“バカの壁”を読んだ。

 養老先生の本を読んだのがこれが初めてなので、いったいどういう人だよあんた、という積もりで購読。
 少し前にテレビで「皆が受けたい授業(だっけ?」ゲスト出演していた時にペラペラっ、と喋った内容が、まさにそのまま書いてある。

 かいつまんでいえば、一元論に対しての危機感と、スイッチひとつで何でも出来ちゃう世の中(星新一のショート・ショートのようだ)のおかしさと、自己他者理解の限界とそれを理解していないプロセスと、まあ言っていても本人もよく分からんが、そう言ったことが書かれている。

 とても読みやすい本だと思う。新書、というだけあってセオリー通りに、大衆が読み砕きやすい言葉遣い。どっかのバカな教授が書く論文みたいに「これでもか」とばかりに理論武装的な専門用語が出てくるような文章を書かない(少なくとも極力そうしている)ように見受けられるのは、養老先生のいう「どれだけ人の気持ちを"理解"するのではなく、考えようとするか」という姿勢に一因しているのではないかと思い、とても好印象を受けた。

 後半になると少しくどいような感じもするけれど、読んでいて思ったのは、極めて『攻殻』的な発想が、ところどころにちりばめてあるなあ、というところである。

 人は変わる。変わらないのは情報だけで、そうじゃないという発想は、自分自身が"今"という状態のままだと信じ、固執し続けるのと同義である。
 それらの起因するところに一元論があり、マクロな視点から見れば国家間紛争とか、あれやこれにつながるんじゃねーの? という話で。

えー、何だかちょっとャっこい感じですが。とにかく読みやすいです。前半読むだけでも充分価値があると思います。
 惜しむらくは、ごくまれに"ニューラルネットワーク"の説明とかしてくださるんですが、私自身がそれをイマイチ理解できなかったという点(…本のせいじゃねーじゃんorz

 ベストセラーですよね、どんどんこういう大衆向けだけれどもまともなことをいう本も読まないと。
 てか、活字離れしまくりの文学部学生って、どうよ・・・??[07/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■02/06/05■■renew 07/12/06■
日本警察と裏金―底なしの腐敗/北海道新聞取材班・編[講談社文庫]

 北海道新聞取材班・編の“日本警察と裏金―底なしの腐敗”を読んだ。

 結局、僕らは踊らされているばかりだ。
 いつだってそう。
 そのことに気づかずにいられれば、ひょっとしたらそれはそれで幸せかもしれないのだけれど。
 人として、何が正しくて。何が間違っているのか。
 それを素直に考えて、口に出すことが出来なくなってしまう前に。

 何千年も昔から、きっと役人も組織も、形やユニフォーム変わってきただけで、何も変わっていないのだ。
 そんなことを思い、少し悲しくなった。
 国家があるのは国民のためであり、国民の委任(間接ではあるけれど)で治安を任されているはずの諸・行政・司法機関。
 『夜警国家観』というのが今の人達にはどこかレトロで時代に乗り遅れているといわれるかもしれないけれど、なんか皆さん、本質を忘れちゃいないだろうか?
 国家のために人があるのではなく、人があるから国家があるのだろう?

 とかとか、色々思ったりしました。
 どこにでもある邪な誘い。そう言った『真実』も再確認する必要があると思います。
 メディアリテラシーとか何とかいう以前の問題として、
 『すべてを疑え』
 という初心に帰るべきかなと。

 つまりは、僕たちはすでに、
 日常の生活の中から洗脳されてしまっているというわけで、
 この僕自身がマイノリティだと思っている認識も、きっと誰かのレトリックが作り上げたウソかもしれないという訳で。

 何者にも曲げられることのない信念とか、正義とか。
 そういう確固たるものが欲しいと、これを読んだ後に思いました。

 何者にも曲げられることのない信念なんて、そうそう簡単に持てやしない。
 ましてや、個人の考える正義や道徳なんて、その本質はたかがしれている。
 同時に、国家や政治が考えうる正義や道徳もそれと同様に本質には疑問が残り、唯一それが個人の持つものと実質的に違うのは、それが権力を有するという点である。
 僕は権力は嫌いだけれど、権力に守られている。それもまた、現実。
 世の中結局は矛盾だらけなのね、と。安易にそう語るのは良くないが。
 例外のない法律はない、ということが適切に世の中を示しているように、すべての出来事には抜け穴があり、我々はよく、そんな現実を見過ごしがちになる。それが、少なくとも我々の現実だ。

 あー、やっぱり権力は嫌いなんだよ、たとえ俺がどんなに悪人だといわれても、犯罪者だといわれても、非難されてもさ。[07/12/06]
huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■29/05/05■■renew 07/12/06■
僕らはどこにも開かない/御影 瑛路・著[電撃文庫]

 御影 瑛路の“僕らはどこにも開かない”を読んだ。

 ええ。正直言ってジャケ買い。
 タイトルにいささか惹かれるものがあって。

 だから別にこれが電撃であろうと問題作といわれようと、然して気にするようなものではない。
 酷評する人もいるようだけれど、王道路線で何冊も何冊も出してくる、いわゆる大作家さん達の停滞気味な文章と比べれば「すっぴん」な印象が、逆に読みやすかった。

 別に真黒表紙でも、挿絵がなくてもいいじゃない。
 内容はマンガでオタでサイコかもしれないけれど、これは文字なんですから。
 すべてはアンタの頭ん中で処理してください、読み解いてください。

 電撃なのは「魔法」とか、
「あなたはあたしが護ってあげるよ」とか、
「これっていつ外してくれるの?」とか、
「ああ、たぶん一生つけっぱ」とか。
 そう言ったライトにオタでラブな要素がありそして予定調和をそこはかとなく期待してしまわせるようなところにあり、しかしそれだけで、実はそんな具合の書き方をされている小説はどこの出版社のだれの作品にだってちらほら見られているもので、まあそんなことをいうと、僕の立場がいわゆるエヴァ以降のオタクであり「電撃肯定派」のif節を受容しうるような人間だからだろ、と簡単にしっぺ返しを喰らいそうで、まあそれはそれで仕方がないなー、と平行線を辿るだけなのだけれど。

 何も理屈をこねる必要はない、機会があれば読んでみて下さい。

 まあ、なんといいますか。
「ふいやんくんの脳みそって、ほとんど電撃でできているのですね」
 と、失笑されかねないのではないかというほどに電撃っぷりですな、俺。[07/12/06]
huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■22/05/05■■renew 07/12/06■
陛下の御質問―昭和天皇と戦後政治/岩見 隆夫・著[文春文庫]

 岩見 隆夫の“陛下の御質問―昭和天皇と戦後政治”を読んだ。

 いやはや、カバー冒頭の御真影とタイトル、帯巻きの、
 昭和天皇はいわれた。
 「サッチャーは軍艦を出すか」
 「高見山は残念だたろうな」

 といった、
 あのクダリ、あのタイトル、あのカバー。

 広義的に天皇主義者である私が買わないはずがない。

 ええ。良いです。時代です。
 これは御質問などではないですよ。
 質問の裏にあるのは、常に一種の理念・個人的思考のプロセスの後にあるべくしてある意見な訳ですから。
 天皇はなー、お飾りだけどお飾りじゃねーんだぞー。
 学業がどうの、頭悪いとかいおうがなー、お飾りでも日本のことを考えなきゃいけないんだぞー。
 生まれてから死ぬまでプライベートなんてねーんだぞー。
 やはり裕仁はラストエンペラーだったのではないかと、友達が言っていたことを思い出しました。

 えー、よく分からないレビューですが、エッセイ風にまとめられたドキュメンタリーのようなものです。
 普通に読み物として、面白いです。

 昭和天皇こそがラストエンペラーだった、という友人がいます。
 確かにある面で、それが否定できない。そしてそれを象徴するかのような内容の文章でした。[07/12/06]
huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■10/05/05■■renew 07/12/06■
ロスト・メビウス――ブギーポップ・バウンディング/上遠野 浩平・著[角川電撃ゲーム文庫]

 上遠野 浩平の“ロスト・メビウス―ブギーポップ・バウンディング”を読んだ。

 久々に出たブギー・シリーズ。
 織機や正樹くんや末真さんや、最初からのキャラクターがちらほら。初出のキャラクターもちらほら。
 霧間さんの謎もちらほら。

 …あれ、この話どこらへんのタイムラインだ?
 と、不意に分からなくなるのはきっと先にもいいましたが、久しぶりだからだと思います。
 まだ出たばかりなのでネタバレしたらまずいなと思い、あまり書かないつもりですが、ストーリーとしては何というか『いつになったら本職のほう出すんだー、ブギーが出てくるやつ、イイ加減出しなさいなー』とか編集からいわれて出版されたような、繋ぎのような臭いもします…。

 最初のほうから一度、読み直したほうがイイかも。と思わせるような、そんな作品。

 ちなみに、上遠野 浩平氏ブギーポップ・シリーズって、こんな感じ。

 でねえ、まあ良いんですけどね。
 正直ね、最近はとてもとても、素直に楽しめていない気がする。。。
 なんかもう、飽きが来ているのか、趣向が変わってきてしまったのか、マンネリぶりにイラついてきているのか。
 うーん、この人の文章の着想とか、結構好きだったんだけどなあ。[07/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■16/04/05■■renew 04/12/06■
きみに読む物語/ニコラス・スパークス・著(雨沢泰・訳)[アーティストハウスパブリッシャーズ]
 ニコラス・スパークス/雨沢泰・訳の“きみに読む物語”を読んだ。

 原題は『the notebook』で、何やら『マディソン郡の橋』の興行成績をぶち抜いて『全米1,200万が愛に震えた――』のだそうである。

 後輩からたまたま借りて読んだのがきっかけである。
 正直、あまり興味のあるジャンルではない。どちらかというとフジテレビ月9っぽいし。いや、月9っぽすぎるし。
 映画にもなったようだが、そもそもアメリカさんの映画は、コッテコテのアクションとかSFでもないと見ないもんで、『アホアホどっかん映画』ではないこの『キミヨム』は、どーも不得手かもなあ、と思っていた。
 どこにでも落ちている消費文学だろう。そう決め込みつつも、読む。

 恋愛モノ、ということなので、全く難しいことはない。
 ごく普通のどこにでもいる、ちょっとくたびれたような青年ノアが、初恋の女の子アニーと再開し、添い遂げて爺さんになる。ただそれだけの話だ。
 アニーが17歳の夏を過ごした南部の町に帰ってくる。きっかけは数日前に見た新聞の記事で、ノアが南部の生まれ育った町に戻っていることを知ったためだ。
 ノアは17歳の時から彼女のことを忘れられないでいる。突然のように再開した彼女は結婚を目前に控えている。ありそうな話だ、付き合ってた彼女がもうじき結婚しちゃう、ほんとどこにでもありそうで、なさそうな、とりあえずメロドラマの世界ならば常套パターンである。

“時代の流れ”と受け止めることにするのか、それに抗うのか。

 この作品(あるいは映画)の唯一の好印象は、彼らのハッピーエンドのその後をきちんと描いた点、むしろそこにこそ意味があったのではないかと思う。
 アルツハイマーが自分を壊していく感覚はきっと恐ろしいだろうなあ。
 自分が崩壊していく感覚は、きっとどんなものでも嫌だろうけれど。
 けどそれを横で見守るほうが、きっともっとつらいかも知れないし。
 なんか上手く書けないけどね。

 きっと映画を見ると、『これでもか!!』といわんばかりに見せ場を作っていそうなので、文字のほうが良いかな?

きみに読む物語オフィシャルサイト

 レビューのようで、全然レビューでない。(汗

 まあ、たまにはこんなのもありだね。
 貸してくれた後輩に、一応の感謝。

※[補填]
 海外の映画とか、そのシナリオとかって、原案があって、それを大勢の脚本家がシーンごとに切って書いていくらしい。
 たとえば、導入部分はこの人、回想シーンはあの人、街中でのやり取りはこの人、アクションシーンは彼に一任、ラブシーンは彼女の脚本意外は考えられない、クライマックスは彼で!!みたいな具合らしい。
 まあ、蓋を開けてみれば、っていう話だけどさ。もちろんこれはその原案で、小説であって、映画じゃないんだけどさ。
 なんかこう、商売なんですよね、お涙モノのラブストーリーも。。。と、いくらか幻滅。[04/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■13/04/05■■renew 04/12/06■
陰陽師/夢枕 獏・著[文春文庫]

夢枕 獏の“陰陽師”を読んだ。

 実は、初めて読んだ夢枕獏である。
 『陰陽師』モノに類する古典を起したものは、実際芥川の『羅生門』や『藪の中』、後は渡瀬草一郎というスニーカーな人の『陰陽の京』というのしか読んだことがないので、いくらか新鮮である。まあ、文学をやっているのだからいくらかそう言ったものに興味があっても可笑しくないのだけれど、しかし近年俗なものばかり読んでいるものだから仕方がない。

 話を戻す。
 作品自体は野村萬斎映画の『陰陽師』を見たことがある人なら大体掴めるだろう、というかほとんどあんな感じの世界である。原作が夢枕獏だったりしたような感じだから、そうなのかもしれないが。  読むこと自体は全く難しくない、簡潔で読みやすい文章、今昔物語から題材を取り出しているというのがまさにそうで、極めて説話的な調子で全体をまとめている(もっとも僕は今昔物語とか今まで一度も読んだことがないけれど)。

 安倍晴明と源博雅の、
「ゆくか」
「ゆこう」
「ゆこう」
という台詞回しが、いかにも時代物でどこか浮世離れしたようなストーリー中、ぴりりと味を効かせている。
 説話的ということで聊か穏やかな展開だが、飽きがこない一冊。

 平安の御世に生まれていればなあ…
 なあ…
 なあ…

 …そんな気分に逃避気味になったりした。

※[補填]
 いや、特になし。[04/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■05/04/05■■renew 04/12/06■
『木島日記』/大塚 英志・著[角川文庫]

 大塚 英志の“木島日記”を読んだ。

 ジャパン東京ミカエルなんかを読んだことがあるので、ごちゃごちゃした感じはとても馴染み深いというか、むしろ心地良い。
 基本的に彼の文章は「くどい」イメージがあるのだけれど、読んでいくうちに「なるほどね」と思うことが多いので、きっとあの書き方は彼が意図してやっているか、或いは彼に特有の書き方なのかもしれない。まあこのあたりがきっと好き嫌いの別れる所だろうけれど(よく感心して書き方を真似ぼうとするのだけれど、微妙にさじ加減が難しいです)。

 時代は昭和初期。太平洋戦争を目前にした当時の日本では、ナショナリズムと猟奇殺人とオカルトが大流行。一種の終末思想みたいなもんかなあ、と確か昭和15年が皇紀2600年に当たるので、そんなことを考えたりする。ちなみに文中の時代背景は昭和初期=昭和13年前後のようなので、終末思想云々を置いといても戦争を前にして、実際に現実の世界でもある種の「おかしな緊張下」にあったことには変わりないのだろうなあ、と思い至るわけである。

 事実は小説より奇なり、而して小説は事実を基とした現なり。

 民俗学が国家を統合するための一種のプロパガンダ装置として機能したというのは、悲しいけれどいつだってどこにだってありそうな話であり、それと似たようなものを普段学問として扱っている身としては、色々と煩悶してしまうところである。
 プロパガンダなんてものはしかし、ようはどんなものでも場合によってはそうなりうるものであって、ある日突然危機として認識されるものではないはずなのだけれど。まあ『「当たり前のこと」が一体いつから突如として「当たり前」になったのか』というのを考えたりすると、色々に着飾ったり、これがいいと思っている価値観なんてものは、いとも簡単に吹っ飛んでしまうんだよなあ、と思い、しまいにはそんな所に諸行無常を感じたりして、まあそんなこと言ったら何も始まらないんだけどさあ、と自分を奮い立たせる。  全体的に折口信夫という、とある民俗学者で歌人という、まあ文人の主観で描かれる説話的な小説で、国文学をやっている人には『折口信夫』という名は本来知っていなくてはとってもまず〜いくらいに有名な人物である。まあ顔に痣があって、偏屈モノで、男色の気があります、っていうところは知っていたのだけれど、いざ架空の物語とはいえ実際に字面でその状態・醜態を見ていると『ああ、だめぽ』というそこはかとないトホホさっぷりを発揮する変人にしか思えない。
 刊行当時には際どく新鮮な単語だったはずの『ロンギヌスの槍』からアナログ・コンピューター、記憶する水、日ユ同祖論的なイメージとか同性愛とか、ぐちゃぐちゃの中でさらに『偽天皇』とか、とにかくまあ、氏が『サブカル』を自負してやまないことを象徴するかのように、とにかく次から次へと色々なネタや案件が浮かび上がる。そのたびにかすかなほくそ笑んで喜ぶ。ごく個人的な事をいえば、一時期『天皇』関係はよく調べたことがあったので、そこらへんのエピソードでは妙な記憶が役に立った。

 全体的に『ブラックコメディ』のテイストとオカルト・サスペンスが混ざったような感じで、文字の書き方も、氏の文章の中では先日の『かわいい天皇』などよりも遥かに読みやすい。場合によってはエピソードによって、極めて物語的な、叙情性に富んだものもあり、氏の底の深さを個人的に感じずにはいられない。
 登場人物がとにかくみょうちくりんなやつらばかりで、読んでいて時々頭の中を折口先生が「ひぃ」と声を引きつらせながら走りすぎる。
 芝居でこー言ったものをネタにしてやったら、結構いけると思うんだけどなあ。

※[補填]
 いや、特になし。[04/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■29/03/05■■renew 04/12/06■
少女たちの「かわいい」天皇――サブカルチャー天皇論/大塚 英志・著[角川文庫]

 大塚 英志の“少女たちの「かわいい」天皇”を読んだ。

 いや、久しく論文とか評論とか読んでいないので、基本的に脳みそがプリオン気味な僕には少々難しいような部分も途中に多くあったのですが。
 簡単に言ってしまうと、以前にレビューでも書いた『サブカルチャー反戦論』の趣旨に近いところがあります。
 天皇に対して今の日本の人々が考えること――「かわいい≒イノセント」というイメージがどこからくるかというと、『国民主権の具現』であるにもかかわらず、その存在がすでにうやむやにされてしまっているためであり、それは政治的な場面における宮家問題の疎外、或いは忘却から来ると大塚はいいます。ようは、宮家の問題(皇位継承とか皇室典範とかいった問題)を国会や政治の舞台で議論すること事態が「恐れ多い」という言葉で一蹴され、タブーになっている、ということ。
 なんかこのあたり、いまだに形態としての擬似的・立憲君主国家日本をプンプンと感じさせるなあ。

 ところで、現行憲法において明記されている“天皇”については、『日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』という下りではつまり、「日本の王様は天皇である」ということではなくて、『選ばれた監査役』のようなものだと言っているのであり、そこに軍国主義的な、或いはナショナリズムの発動装置のような機能は備わらないと言っているようです。
 当初よく分からない節が多く、いやこれを読んだ後ではある一面において、『左傾保守に少し洗脳されたか俺?』とも思ったりしたのですが、ようは日本国を一個の株式会社として考えると、この考え方は分かりやすいのではないかなと思ったりしています。
 つまり、

 株式会社日本の株主である『国民』は、自分の持ち株=(生活の安全)をより有価的なものにするために=つまり、安心して生活を送るために、持ち株の運用方法を自身で考え、その考えに最も近いアイデアを持った役員=『政治家』を選ぶわけです。政治家は、株主である国民から、利益の拡充のために選出されているのであるからして、『社会をよりよく、人々が安心に暮らせるために』会社を運営していかなければならんのです。こう言ったことの実働業務を実際にやっているのが公務員――警察や自衛隊や消防や、その他大勢の『公務員』なわけですが、まあ大きな意味でいえば、彼らは自己の保身や利益のために動いてはならんわけです。
 さて、そこで少し話を戻すと、株式会社日本には、もちろん会社ですから『社内法』という、いわば憲法があるわけで、会社の運営はそのルールにのっとって、公正に、かつ有意義に行われなければならんわけです。そして、そうしたプロセスが適切に行われているかどうかを確認するために、株主である国民は自分達の『目』である監査役の『天皇』を置き、情報開示や会社役員に対しての提訴・リコールを行うことが、『権利』として認められているわけです。
 ……いや、厳密には状況は違うし、かなりこじつけ的な考えなんだけどさ。でも、立憲君主国家の姿勢っていうのは、基本的にこんなもんだと思う。
 そう考えると天皇というのは別に(少なくとも政治的な意味合いにおいて)『やんごとない』存在ではないわけだし、しかしある面では逆に彼らにはもっと実務面において重要な役割があり、責務があるわけだ。そして、それは株主である国民も同じなわけだ。
 たとえば、選挙で政治家を選ぶ時。
『この人なら何とかしてくれる』と思って投票するのではなくて、
『自分がどう考えていて、誰が一番その考えに近いか』ということに重点を置くべきで、そうした意味では選挙権という『権利』のある国民一人一人に本来なら責任があり、つまりは『小泉がアメリカのイラク侵攻を容認したということは、つまり『日本人が自身の求める生活の安全を保障する総意』として、『アメリカの属国』であることを明示し、そのためには『イラクの空爆で犠牲になる民間人の生死など厭わない』と、まあぶっきらぼうに言ってしまえば、そういう意味を成すわけである。
 それが嫌なら、そういう政治家を選ばないようにするべきだし、そもそも国民の総意で『日本代表』をやっている天皇は、一体何しているんだお前、という話に、本来ならなるべきところで(いや、そもそもなるはずなんてないんだけれど)、

『天皇陛下って、なんかカワイクナイ?』

 という社会的思考が構築されているわけである。
 hideが首吊った時にファンが自殺したり家の前に詰め掛けたりしたように、或いは尾崎豊が死んだ時に自殺者がいたように、『自殺サークル』とかいう映画が放映されたこともあるこの国には、いつからか『虐げられた・内向的な負け犬根性』が流行ることがあって、潜在的に自殺に対しての憧憬のようなものが強いように思えなくもない。カリスマの不審な死というのは洋の東西を問わず、確かに秘密めいて人々には好奇の対象になるし、また特に日本では浪花節を始め忠臣蔵や曽我物語など、とにかく潔い死――特攻精神にも通じるのではないか――と、それを象徴する“人々の純粋さ、イノセントさ”のようなものがもてはやされてきた経緯がある。
 必要なまでに潔癖症で、供犠的でもあり、貴種流離譚的でもある。
『癒し』なんて言葉が昨今ブームになっている理由は、ひょっとしてそういうところからくるのではないだろうか、とか、そんなことさえ考える。

 論の内容全体としては、やっぱり『理想論』の匂いはプンプンするところではあるし、『他国の戦争に介入せず、他国の侵入を許さず、他国の国境を脅かさず』みたいな理念を実現するにはこの国にはまず体力がないし、そもそも投げやりで逃げ腰な国民性からしてどっかに依存していかないと何もできないのかもしれないとか、そういう現実を思うと、どうしてもうなずけない。もちろん、そもそもの前段階において、『理想』がなければ将来のヴィジョンなんて描けないわけだから、『理想』というのはえてして悪いものではないけれども。
 だが実際にはそうした『理想』を議論する以前の問題で、政府や国家が打ち出す方針は常に現状を打開するためだけの後手後手。極めて短期的な解決策ばかりを持ってくるので、経済的、政治的なしわ寄せは後になるにしたがってどんどんその規模を増していく。打算的に『強いほうにつく』みたいな政治姿勢を取っていると雲行きの怪しいことは明らかにもかかわらず、今日の日本国民の皆さんは、『明日の天気予報も分からない』状態をいつまでも脱することができずにいる。

 日本ダメぽ。図らずも、そう思う瞬間である。
 いじいじしていても始まらんではないか。とか、フリーターやニートをチクチクと糾弾しつつも、半ば大衆が受け入れつつあるのはそんな民族性(広義において)の影響かしら、とか、思ったりもする。

 とにかく、まあ四六時中政治のこととか考えているのは、僕らには無理なので。
 せめて、何かの折に選挙が近づいた頃には、ちびっとでも頭をひねって考えてみたりする必要があるんじゃねーの、とか思ったりするのである。
 あと、自分が某・都内の私立『おぼんボン』大学に通っているくせに、あれだなーとか思いつつも、やはりそうした意味では、天皇制の『国民の統合の象徴』という扱いは最初から形骸化していたものだし、ナショナリズム(ここでの意味合いはファシズムが濃い)の抑止装置としての機能などありもしないし、ありもしない抑制装置の具現としての存在を、政治家は暗黙のうちに煙たがって、『禁忌』という枠にくくって、うやむやのうちにフェードアウトを願っているような状況なわけで、そしてそんなやられぎみで存在意義の問われている、いわば『僕、どうしてここにいるんだろう?』的な迷走を強いられている天皇に、老若男女問わず国民達は『可愛い』『可愛そう』とサブカルチャー的に共感を抱く。

 ……確かに、そうまでいわれてしまえば、天皇制は要らんね、とも思えてしまうんだけどさあ…。

※[補填]
 天皇制は形骸化しているけれど、否定することはできないのではないか。とやはり思う。
 第二次大戦の戦争遺産としての価値しかり、日本国の国民統合の象徴としての価値しかり。
 そもそも彼等には、日本国の古来から伝わる農耕儀礼を司ってきた、いわば“祭祀”としての伝統を担ってもらっている部分もある訳だし。
 何より、昨今の天皇報道を見ていても、日本人が天皇、皇族に注目するのには、それなりのわけがあるのではないかと思うし、その“それなりのわけ”というのがつまり、本書の示すところの「なんかポップで可愛い」というところらしいのだが。[04/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■01/03/05■■renew 04/12/06■
禁涙境事件"Some tragedies of no-tear land"/上遠野 浩平・著[講談社ノベルス]

 上遠野 浩平の“禁涙境事件”を読んだ。

 ブギーポップとかの作者である。いや、高校の時に何の気なしにジャケ買いしたら気に入ったという、何というか『作家のファンは文章につくのではなく作者につくのでもなく、装丁につくのである』みたいな、極めてマスプロダクツな流れに飲み込まれた挙句、実際マンガみたいで面白かったものだから、って具合でハマリ…。
 とにかく、この人の文章は『簡単で、面白い』。

 簡単とかいうと『おめー、人のこと馬鹿にしてんのか?』とかいうのではなくて、簡単な表現で物事を適切にいい表せているという、そういう意味である。
 たとえば、風景とか心理とか言った描写に形容詞やら副詞句やらがごちゃごちゃとついてしまうのは、文章を書く上で良い面もあるのだけれど、やはりクドイ。
 そーゆうくどさを感じさせず、かつ的確な情報伝達が出来ていて、そして面白い。
「んなこといったって、そりゃあくまで『スニーカー』で『ティーンズノベル』でガキンチョの世界じゃないの」
なんていわれるかもしれないが、じゃあたとえば村山由佳とか最近やたらとメディアで騒がれてるけど、あいつなんかジャンプ文庫出身だしさ?みたいな。
 まあ結局面白ければ何でもありというのがhuiyanの個人的なモットーでもあるので、一度読んで見てはいかがかな、と。

 あー、まあでもこの文章になってしまうとシリーズ物になっちゃっていて、そーするときっと最初からのファンとか購読者を狙ったような書き方がされているような気もします。そこらへんはやっぱり『スニーカー』な、小遣いを狙った消費資本主義的な臭いがするので、上遠野浩平の文章はあくまで、
『エンターテインメントですよー…』
というのを忘れずに、ご一読下さい。

※[補填]
 まあさー、確かに上遠野浩平は面白いっすよ。でも最近のアンタの文章、明らかにくどいよね。
 おまけに影響らしい影響なんてまったくないじゃないの。どちらかというと、本当にただ消費しているだけじゃないの?
 まあ逆にいえば、彼の文章には「圧倒的多数が消費しうるだけのスキルが内容・文章力・構成ともに備わっている」ってことなんだろうけどさ。[04/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■27/01/05■■renew 03/12/06■
攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX-虚夢回路/藤咲 淳一(押井塾)・著[徳間DUAL文庫]

 攻殻の小説・藤咲 淳一の“攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX-虚夢回路”を読んだ。

 先日大学周辺のBOOKOFFを色々と物色していたら見つけた。
 いや、大塚英志関連を最近読んでいて(卒論とはじぇんじぇん、まったく関係ない)、何か中古でなかろうかと105円コーナーを探していたら、一時本屋で見かけたままで結局買い忘れた挙句、一時の人気で後は一気に下火になっていたはずの徳間DUAL文庫(『電撃』とか『富士見』とかよりほんの少しだけ高級感を感じる装丁なのだが、いまいちマニアックなジャンルが多いのと、値段の関係で売れなかったか…)のコーナーを見つける。
 を。
 これはもしや何か買い忘れていそうな冨野さんの改造版ニューガンダムとかねぃかしら、200円くらいだったら買うよ〜とか思っていると、功機の文庫を見つける。
 一時書店で眼にして、気が向いたら買おうと思っていたらいつの間にか徳間DUAL文庫そのものを書店で見かけなくなってしまったので、その存在すら忘れていた。
 まあ掘り出し物だと思い、100円台ではないもののまあ半額だから良いかと大塚英志の木島日記と夢枕獏の陰陽師と一緒に購入。夢枕獏はまだ一度も読んだことがない。ぱっと開いた感じの文体が気持ち良さそうだったので、『あ、なんだか売れ線の定番のベタベタっぽいぞ』とかひねくれつつ、まあそのうちレビューします。んで今回は功機の話。

 原作を知っている人なら『功機』という、しかもタイトルの短縮形(笑)を見るだけでどんなストーリーであるかとか、そうゆうのを読む、或いは好む人間がどんな人間であるかとかある程度想像がつきそうだが、今回はそういうのはどうでもよし。
 最近衛星でSTAND ALONE COMPLEXとか>S.A.C.2nd GIGとか言って、士郎正宗の原作を押井守がイジった『押井守版』的な攻殻機動隊が放映されていたりするのだが、その押井版功殻(=以下S.A.C.)のアナザーストーリー的、という具合の位置づけが今回の文庫本のスタイルである。

 まあ、読んでみた感想を率直に言ってしまうと、
 …やっぱし、テレビには負けるかなあ…。
 絵は浮かんでくるのだが、しかしやはりその絵が浮かんで来るというのが、かなり『テレビシリーズの第何話と第何話の間っぽい』という感じ丸出しで、イマイチ読んでいて『おおぅっ!』とか『んぬぁにぃっ!?』とか言った展開ではないので、ある意味でテレビとか原作とかイノセンスとかGHOSTINTHESHELLとか見ちゃってる人には、新鮮味に欠けるというか…面白いには面白いのだが、アップダウンをあまり感じない内容であった。
 …っていや、人様の書いた文章を書評できるような、そんなまともな語彙力も構成力もないんだけどさ。でもそんな感じです。
 まあ買って損はないと思います、初めて読む人には…うん、ちょっと何を言っているのか分からないところとかあるかもしれないから、漫画なりムックなり見ていたほうが分かりやすいかも(^^;)

 いやー、しかしこーゆう文章ならすらすら読んでしまうのにレポートとか論文とか評論とかになったら、何で何日もかかってしまうんだろうなぁ。

※[補填]
 いや、そうだよなあ。
 だってさあお前、卒論は書けても卒業できない奴だからなあ(失笑。
 ……ホント、文才って欲しいです。[03/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■24/01/05■■renew 03/12/06■
サブカルチャー反戦論/大塚 英志・著[角川文庫]

 大塚 英志の“サブカルチャー反戦論”を読んだ。

 いやいや、大塚英志はやっぱり『戦後民主主義』で日教組に教育を受け日本国憲法を信じて生きてきた人だと文中でも言説している通りに、まあどちらかというと左げな感じの人です。
 この人の原作に『多重人格探偵サイコ』(漫画、文庫ともに原作)とか、私の駄文がそれとなく(いや、たぶんかなり?)影響を受けている『東京ミカエル』とか、或いはマニアックなところで『MADARA』とか何とか、色々あるんですが、ようはこの大塚さん、論壇誌などで憲法だの少年法だの何だのと真面目な文章扱う傍らで、こんないわゆる『サブカル』もやってる、ある種のおたくで、なんでも屋さんなんですね。

 まあ、漫画やあれやこれやの話からは少し距離を置いたところで説明というか何というかしていくとして、私が大塚さんを知ったのは高校生の時です。
 ちょうど何だか屈折した感じの16歳、周りは(自分も含め)脳味噌だけ肥大化したような、それでも高校に入ったからにはデビューしたくてチャラぃのオネぃなの、っていうような、まあ被れちゃった感のとってもあるお年頃。
 個性とかアイデンティティとかいう言葉が意識に浮かび上がり認識されるようになったのは恐らくちょうどこの頃で、周りには『個性が欲しい、オリジナリティを体現したい』と主張しながら全体化=(S.A.C.的には)並列化されていく級友達。つまり、彼等がチャラぃお兄ちゃんお姉ちゃんを気取りながら受験を控えてカツカツカツカツシャーペンなりボールペンなりをいじり単語帳なり予備校のテキストなりを内職している隣で、そうゆう光景に気後れと侮蔑を感じつつ、結局はそこから取り残されていたのが私でした。
 そこに取り残されるという結果が、結果として私にとっての個別化だったのかもしれない。その結果として『マイノリティー』という言葉を知り、アングラだの小説だの村上龍の五分後の世界だのと言ったものに触れて今があるわけだから。

 …あれ、だんだん幼少期の回想のようになってきたな、いかん話を戻そう。
 9.11テロを前後して各雑誌などに連載、寄稿された文章を集めた内容で、まあ表題の示す通り、基本的に『反戦』と、そして『護憲』を訴え、また延いてはイラク戦争、アフガニスタン空爆を目前にして一元的になっていた世相、マスコミ、政治のおかしさ、それに対して何の力も示さない(示せない?)『文学』の存在、と言ったような内容が全体を通してあります。
 えー、かくいう私、高校生の時に知り合った友人のおかげで右的傾向に感化されているのですが、なかなかこれが難しいところで。
 例えばこないだのイラク戦争の時に、或いはアフガニスタン侵攻の時に、もっと遡れば9.11の時に、世論の風潮は『一極的・押せ押せモード』になっていたわけで。そうした中でミギぃーな私も少なからず『世相が全体主義化していませんか…』などと思ったりしたりするわけです。
 ジョン・レノンのイマジンを流したらダメとか、アメリカの保守的な古い町で反戦を訴えた生徒が停学になったりとか、『アフガニスタンの人々の痛みも考えて』とライブステージでマイクパフォーマンスをしたマドンナがファンから糾弾されたりと、何だかおかしな感じの時期があったじゃないですか。
 んでまあ、そういうことがあったものの、我が国日本は隣に北朝鮮っていうよう分からん国があって、そこをちょうどいいタイミングでテキサスの田舎から出てきた大統領さんが『悪の枢軸』と揶揄し、さらにいいタイミングで国内では拉致問題があたかも今しがた始まったかのようにクローズアップされ、そしておまけに『SHOW THE FLAG!』という誰が言ったのかも定かでない言葉に踊らされて…的に自衛隊の海外遠征が決まり、有事法案が出来上がり、ガイドラインとか何とか言ったものがどんどん作られていく末に改憲論が熱くなっている。

 まずは、そうしたことに『変だなあ』というのを感じないのかと。
 氏はそう述べているわけですな、まあ確かにそうですねと思ったりするんですが。

 改憲論者がなんで熱いことになっているのか。まあ、『安保条約がそもそも不適当』とか、『敗戦の記憶』とか、『アメリカ嫌い』とか、『自衛隊のあいまいさをどうにかしたい』とか、『国際的な立場の確立のため』とか、色々あるんでしょうが、『戦後の押し付け憲法』的な発想から来るある種の劣等意識が最大の要因なんだろうなあと、まあ大よそそんな下りがあり、確かにそうだな、日本国憲法はGHQの民生局で一週間ぽっちで作成された『押し付け憲法』だなとちびっと日本史をかじっていたので分かるのだが、しかしそれを今更破棄しようと、そして新憲法を作ろうというに至るには、さらには『自由の戦争』というまあ形はそうだけれど、

『自由という利権を拡大したいアメリカちゃん』の戦争に参加スレ!!
でないとお前は国際的に無理ポ。

 といわれ、おまけで『SHOW THE FLAG』と言って軍隊を出せという、まあ極論をいえば、

「今の憲法だとお前んとこ上手く使えんから、ルール変えろや」

という米帝の後押しのおかげ、ってのもあると言っている。
 あー、なるほど、確かにそうだねそらそうだ。と思い、そして私の高校時代を知っている友人からすると、

『貴様、それは転向宣言か!?』

とでもいわれかねないような、かなりしだりぃ〜な感じの意識だが、そもそも私はアメリカが嫌いなわけで、そして北朝鮮も嫌いなわけで、その点では私は遠Iであると自負しているのだけれど、じゃあなぜ改憲論に反対かとか、大衆の流れに反抗的なのかというと…これまでよく自分でも分からなかった部分が多い。
 ただ偉い人とか、権力とか、体制とか組織とか言った自分がどうしても歯が立たないものに対しての劣等意識からそう思っているのか、とも思うのだが(恐らくそれも充分に理由なのだろうけれど)、そうした感覚を明確にしてくれたのが、大塚氏が文中で述べている『日本は再びアメリカのいいなりで判断を下すのか』というところで納得できたような気がする。
 戦後の平和憲法を押し付けられた、それが一回目。
 イラク戦争が近づいて、『SHOW THE FLAG!』=つまり自衛隊を派遣してこちらの味方につけ、ってかメンどぃからもう憲法改正しろよ、といわれている今が二回目。
 そーゆうことか、と思うとますますアメリカ嫌い(でもまあアーマーライトとかコルトとかS&Wとかは好きなんだけどね、あとMARILYN MANSONとかDAVID BOWIEとか音楽とか映画とか色々)な私にとってはまあ、これ以上歯がゆいことはないのである。

 くんくん、日本人ではないものの匂いがする。
 なんて真面目に一時期考えて、かなり尊皇攘夷的傾向の強い時期のあったような人間であるからして、アメリカに頭なんぞ下げるかぁ!!と思っていたにも拘らず、じゃあなんでそんな私を置いてけぼりにして世論は、
『…まあ、しょうがなくない?』
って感じにイラク派兵、そんでもって主戦論に転換して言ったかっていうと、まあ隣に北朝鮮がいたからで、そうした相手をどうにかしてくれるために日米安保とかあるはずなのに、今度はどうもアメリカは手前のことで手一杯って感じで俺らピンチじゃん、ってところで、まあ上の通り、
『まぁ〜、戦争はやだけど〜、でも最近ブッソぅだしさぁー、自衛隊が海外ハケンされても仕方ないんじゃない〜?』的な、『何となく好戦論派』になってしまう人が多いようである。

 …まぁ、そういうふうにしてマスコミとか政治とか世論とか、
『何もかもが一元化してしまう現象』はおかしいんじゃないのか?』
『日本はここで今回本当に戦争に加担してしまっていいのか?』
っていう考え方は大いに賛同できるし、そこを今後誤ったらば、今のこの国の人たちってのは、いつまでも『被害者』気分でいるかもしれないけどもうすでに『加害者=アメリカサイド』になってるんだよっていう事実を知らないとは思うし、確かに納得してしまう。
 ただ、大塚さんの執拗なまでの『護憲姿勢』と『戦後民主主義』にはいくらか理想論的なものを感じた。
 でも『反戦』を唱えられない人々が多くいる中で、恐らく反戦を訴えるにもっとも必要かつ重要なのはそうした『理想論』なんじゃないかとか思ったりして、そういう意味ではやはり憲法改正とか、一時のうちにこんなに過熱している様子はどう考えたって異常だし、客観的に見て、『この火事場的政治状況の間にじゃんじゃん法案を可決して、やりやすいようにしてしまおう』っていう政治の流れを感じるし。

 もうちっと冷静になって物事に対処するべきなんではないか、ということを考えさせられる文章である。まあ、多分にアジ的な内容もザックザクだし、左的な脳味噌が感化されそうな、そんな感じの文章ではあるんだけど。

 …うあ、文章長すぎ。(汗。

 ちなみにふいやんの今の姿勢を示しておくと、
 とりあえず、
 天皇制はとにかく維持していくべきだ(もう性分?
 でも旧軍の体制とかにはいくらか批判的だ(てか、痛いのは嫌。
 でもサバイバルゲームは好きだ(銃とか兵器大好き
 しかし戦争とか徴兵とかになると…うぬぬww
 北朝鮮は嫌い。でもアメリカはもっと嫌い!!
 自衛隊は、明らかにそうと分かる侵略戦争に対しての生存権の行使手段としては合憲だし、だったら参加する、と思う。(その頃には義体も電脳も出来ていることを願う、とっても!!)
 だからとりあえず、今急がなくてもインでない?
 と、いうような感じである…。

 自称・中道右派?な、ふいやん。

※[補填]
 …あのさあ、感動したのは分かるよ?
 でもさあ、明らかに長すぎるじゃん?
 人に読んでもらうこと、考えてないじゃん?
 書いた本人でさえ、ほとんどまるっと読み飛ばしちまったぜ?
 ああ、やっぱり俺、文章書く才能ないんだよな。。。(笑。
 まあ、いいたいこととか今とあまり変わってないところが失笑モノです。[03/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■15/12/04■■renew 03/12/06■
リアル鬼ごっこ/山田 悠介・著[幻冬舎文庫]

 山田 悠介の“リアル鬼ごっこ”を読んだ。

 『モノ書き』は、なろうと思ってなるものである。問題はそれが享受されるか否かにある。[今日の教訓]
 もともと当初は[文芸社]より自費出版で出されたもので、その上で20万部を売ったという、商業的、出版経済的に見ても、近年では極めて異例な売れ方=成功をした作品であるらしい。

 西暦3000年の年の瀬、総人口1億余のうち、国王と同じ『佐藤』の姓を持つ人間が500万人余りに及ぶ某国(地名など考えればどう考えたって日本なんだけど…)で、国王が思い付きから自分以外の『佐藤』を抹殺しようと試み、『リアル鬼ごっこ』を開催する。『佐藤』の姓を持つ国民は来る12月17日から24日までの一週間、深夜11時から翌午前0時までの1時間を、武装した『鬼』達から逃れ、生き残らなければならない。横浜の大学で陸上を続けていた青年、佐藤翼はそんな中で何としても生き残り、そして幼い頃に生き別れになった母と妹を探し出そうとするが…、と言った具合である。

 ストーリー自体は極めて単純明快で、それが逆に繰り広げられる『鬼ごっこ』の残酷さをも表しているように感じられる。ただ文章が稚拙≒読んでいて少し飽きが来るのと、単純明快なストーリーなせいか展開が途中単調になってしまったのと、それによってその後の雲行きが暗に見えてしまった点があって及第点と言った感じだろうか。文章が稚拙、ということに関していえばこれが著者の処女作だというところが関係するかもしれない、あとは、もしくは私個人の選り好みかも。

 さすがに現役第一線で書いている人達の文章に比べれば『幼い』し、ハリウッド映画のようなクライムノベルほどの臨場感・緊迫感は出せていないと思う。ただそれ以上にすごい『パワー』があるなというところがあり(逆に言ってしまえば、そのパワーでゴリ押しな部分も多いのだが…)、読んでいてつまらない、ということはそれほどない。
 他の作品があったら読んでみたいけれど、これで終わっちゃうのかなとも思えなくもない印象があって、次回作に淡い期待を抱きつつ(何せアウトローな幻冬舎なので…)。

 あーあ、おいらも『モノ書き』になりたいなぁ…。

※[補填]
 などと思っていたら、ポコポコと新作を色んなところで出しやがっているな、山田。
 でも正直、あまり今は読みたいとは思っていない。[03/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■07/12/04■■renew 03/12/06■
戦場の黄色いタンポポ/橋田 信介・著[新潮文庫]

 橋田 信介の“戦場の黄色いタンポポ”を読んだ。

 もともとは故・橋田信介氏による1993年刊行の「走る馬から花を見る―東南アジア取材交友記」の改題・増補文庫版であるらしい。実際、この本の冒頭と末尾には橋田氏の夫人である橋田幸子氏による文章が挿入されている。

 イラクに於ける邦人襲撃事件で殺害されたフリーのジャーナリスト、故・橋田氏のエッセイ。
 書店で目にした当初、勿論私にはそんなイメージしかなかった。例にもよって表題のインパクトと、ジャーナリストとして氏が歩いてきた中東・アジア・アフリカ諸国の描写が如何なるものかという事と、そして表紙に用いられているデジタルカメラか何かによって記録された生前の橋田氏の姿の静止画にひかれ、ものすごくある意味でミーハーな『ジャケ買い』をしてしまったわけだが。

 実際読んでみて面白かった、その一言に尽きる。

 別に、当時の世論や世相をリアルタイムで知っている訳でもなければ、世界史だっていい加減にしか勉強していないので、知識としても危うい、中東や東南アジアの国々の姿。
 いわゆるジャーナリスト的な政治やら経済やらイデオロギーがどうのこうので、じゃあ歴史から振り返ってどうで民族性が云々…みたいなことが要旨ではなく、どちらかというと(いや、いわずとも)本当にエッセイだった。

 私はミャンマーがなぜビルマからミャンマーになったのかも、アウン・サン・スー・チーが軟禁されている理由も、それを行う現軍事政権のことも、あまりよく知らない。
 ベトナム戦争をリアルタイムで見たわけではないし、北爆がどんなに悲惨だったかとか、南ベトナムがどうだったかとか、サイゴンがどんなだったかとか、それに繋がってくるカンボジアのポルポト政権だとか、国連の『侵略行為』という見解の理由とか、原始的革命による虐殺とか、そこにあった外資流入と華僑と植民地時代の名残りによる貧困の理由とか、そう言ったものを良く知らない。

※[補填]
 いや、何も知らないといったほうがよい。


 あるのは見えない感覚としてある息苦しさだけだった。
 こんな風に呑気にやっていて良いのかなあ、という。

 どっかの馬鹿がイラクに入って殺されて、とか言ったニュースは昨今ではあまり珍しくない(9.11テロ以降、アフガニスタン侵攻やイラク侵攻までの国内事情を参照)。テレビでは忘れた頃に『拉致』『声明』『撤退要求』などなどが銘打たれ報道される。
 現場で見るのと、ブラウン管越しに眺めるのとでは違うのだと分かっている心算でいたが、これほどまで違うのかと思わされる。
 ひょんなことで「自分に何か出来ないだろうか」と思い立って、現地入りしてしまった彼らの気持ちが分からなくもないのだ、それが愚かしいことであると分かりつつも、そう感じてしまう。
 腹の底で何かがもたげてくるような。そんな気分にさせられた。

 全体に本書は橋田氏がこれまで携わってきた仕事の中で出会ってきた現地の人々との交流を、半ば回顧録のようにして現している。
 最初エッセイだという事を忘れて、小説のようだとか思ったこともあったが、これは氏の見てきた現実であろうし、まあきっと氏が狙っていたところは私が感じたようなドキュメンタリー性のようなところなのかもしれない。とにかく引き込まれてしまった、その一言に尽きる。

 そして、夫人の橋田幸子氏が冒頭と最後に書き足しているエピソードでは、取材現場とバンコクを行き来する日常生活の中で、橋田氏や夫人、そして子供や周囲の人達のやり取りが、とても生き生きと描かれていた。
 あくまでこの部分は幸子夫人の視点で描かれたものであるから当然のことなのだが、橋田氏はきっと夫人に物凄く愛されていたんだろうなあ、としみじみ思ったほどである。

 そして、文章を読みながら絶えず思い出していたのは、遺品となった、氏の愛用していた帽子を手にして、気丈に微笑していた幸子夫人の姿だった。

 …なんか思ったのだ、一生懸命生きるっていうのは、どういうことなんだろうねー、とか。
 とにかく、お勧めの一冊である。[03/12/06]

huiyan ---------------------------------------------------------------------------
■20/11/04■■renew 03/12/06■
コインロッカー・ベイビーズ(上・下)/村上 龍・著[講談社文庫]

 村上 龍の“コインロッカー・ベイビーズ”を読んだ。

 いや、文学部なのに最近本を読むと目が疲れるというか、眠くなるというか、頭が痛くなるというか(ヲィ。
 とにかくまあ、そんなこんなでしばらくまともな活字を読んでいなかったので、あの走り出したら停まろうとしない村上龍の文章を読むのはなかなか骨を折るような時間を要したのである(夏前に買って、実際読み始めたのは04年の9月末…長すぎ。間に別のも読んでるけどさ)。
 で、読んだ後の印象をざっというと、とても大好きである。笑。そのまんまやん。
 村上龍は高校時代からよく読んでいたが、一番しんどかったのはこれかもしれない。ただ、一度じっくりと読み始めたらもう止まらない。

※[補填]
 確かに、どこかゲームっぽい印象もある。現代の文化がアニメやゲームをフィードバックすると同時に、アニメやゲームもこうした作家からインスピレーションを受けている状況があることを考えれば、それはごく当たり前の『設定』なのかもしれない。
 つまりそれは、ある面では現代がすでにどこかゲームじみていて、我々は、少なくとも僕自身は、そうしたゲームを通して自分に直面する現実を理解しようと試みている場合がある、ということなのか。

 夏の日にコインロッカーの中で産声を上げたキクとハシ。双子として育てられた彼等はやがて自分達を取り巻く一種の閉塞感の中で、「破壊」と「生きること」に辿り着く。廃墟と化す東京、生まれ育った炭鉱の町の廃墟、華やかなライブステージ、十三本の塔と有刺鉄線で囲まれた薬島、クリスマスイブの川崎の歓楽街、少年刑務所の壁、自分達を産み出した胎内にも似た、分厚いコンクリートと分厚いゴムの壁に覆われた防音室、引き金を引くと同時に鮮やかに飛び散った生みの親の脳漿、コインロッカーの中で産声をあげたあの夏の日と同じ、暑い夏の日に全ては終わり、また始まる。
 すべてを殺せ、破壊せよ。押し潰されそうな感覚の中で、聞こえてくる不思議な音律。
 …ずいぶんと御大層な言葉を並べ立てたが、とうてい語り尽くせない。

 文章の書き方が独特だし、とにかく癖が強いけれど、とても面白いので、暇な人はお読みなさい(おスギ風)。[03/12/06]

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